2017年05月09日

自分でなく、自然の側から

今ではもう忘れてしまった感覚。

子供の頃、カブトムシを雑木林に取り行くのが好きでした。
カブトムシは深夜から明け方に集まります。
深夜に雑木林に行くのは親が許さなかったので、
太陽が上がってならと、やっと許してもらえました。

でも、明け方とはいえ、雑木林の中はまだ暗いのです。
また時々、雑木林はぞくっとする表情を見せることがありました。
昼間来た時には見せたことのない表情です。

「そんなの恐怖心がそう思わせているだけだよ」

心理学的にはそうなのかもしれません。
でも、それは人間を中心に考えた説明方だと思います。
自然側から見たら、子供の時のように感じるのだと思うのです。

ケアンズの自然に触れて、
子供の頃の感覚が戻ってきている気がします。

「自分」側でなく、
「自然」側に立って、
考えるようになってきたのかもしれません。




木の生える方向に方程式はない。伸びたいように、伸びる。天に向かって。




同じカテゴリー(木の英知)の記事画像
ずっと、ありつづけること
「木」と「空理論」って似てる?
「木」のやさしさ
アボリジニーの民族特性は人類の英知
自然とのおつきあい作法再考
神道とアボリジニー文化の共通点
同じカテゴリー(木の英知)の記事
 ずっと、ありつづけること (2017-05-20 12:23)
 「木」と「空理論」って似てる? (2017-05-17 09:35)
 「木」のやさしさ (2017-05-15 15:02)
 アボリジニーの民族特性は人類の英知 (2017-05-07 15:04)
 自然とのおつきあい作法再考 (2017-05-05 07:38)
 神道とアボリジニー文化の共通点 (2017-05-04 06:48)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
自分でなく、自然の側から
    コメント(0)