2017年05月03日

自然は畏れ多い存在だった

子供の頃、自然はまだたくさん残っていました。

特に私が住んでいたエリアは、
大きな川が2つ交わるところでしたから、
それはそれは大きな遊水地があったのです。
(ちなみに面積33k㎡(東京ドームの約700倍))
その遊水地の周辺は、自然の宝庫でした。

加えて、父が釣りが好きで、よく、
へら釣りに連れて行ってくれたのです。

薄暗い頃から家をでて、車で船着き場まで移動し、
そこから当時「お化け沼」と呼んでいた場所に移動します。

「お化け沼」というくらいですから、
鬱蒼とした、なんとも不気味な場所でした。

しかも、へら釣りはちょっとした音にも敏感に察知し、逃げてしまうので、
父と私は小さな小さな船の上でじっと黙っているのでした。

まだ4歳くらいだった私にはキツイ、まるで苦行のようにも思えました。

ただ、私はそこで自然の持つ怖さを学んだと思います。
怖さというより、「畏れ多い」というのでしょうか。

例えば、
もし私がどぼんと川に落ちたら、死んでしまうかもしれません。
何か大きな化け物が現れて、私たちを川にひきづり込むかもしれません。
突然、雷がなったり、豪雨、暴風か生じて、私たちは川に沈んでしまうかもしれません。

薄暗い川の上で、父と二人、小さな川船に乗っていると、
眼前に広がる巨大な自然の前に、無力な子供である自分は、
そんな想像をしてしまうのです。

すると、ただこうして、無事に釣りをさせていただくことに感謝するのです。

こうして、自然に対して素直に畏敬の念を学んでいったと思います。
それは、やはり、幼少の頃から「自然」に接してきたからだと思うのです。



ケアンズの自然には「厳しさ」と「やさしさ」が共存するように思える



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